HORROR...
Horror has a face
And you must make a friend of horror
Horror and moral terror...
are your friends.
if they are not..
then they are enemies to be feared.
They are truly enemies.

from [Apocalypse Now]


THE EYEs tell of LIFE & death

THe GoD PAaNya
for dear HIS life!!
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HEART&HEARTfull JUNKie ObjeT

HEAD-hitting!!! DESTRUCTIN BLOcKs

DESTRUCTION-SCULPTURE

Balkan-SISTER & PaaNya DANCING!!!!!

Why LOVE? Why FIGHT?? Why don't STOP WARs???
--LOVE BATON FIGHTING!!!!!!-- by THe GoD PAaNYa


poet-warrior PAaNYa
yokohama triennale2005'

PAaNYa is FIGHTING!!! CHILDREN's
WILDERNESS of PAIN, INSANE,
and LOVE,LOVE,LOVE,LOVE

so! LOVE baton FIGHTING!!

!!!!!LOVE baton FIGHTING!!!!!

HE CALLING on!!!
CAN YOU PICTURE WHAT
WILL BE SO LIMITLESS AND FREE

4photo by BOB

!!!!!!!!!!!!!INFOMATION!!!!!!!!!!!!!!

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西江雅之選「異国」日本の名随筆51
あとがき
より

いつ、何処にいても、わたしの周囲は異国である。
自分の国は自分自身の皮膚の中にある。 我が身が移動すれば、その国も移動する。
生きている限り、体内にあるその国を見捨てることも出来ず、
それを体外に追い出してしまうことも儘ならない。
そこから逃げ出すことも出来そうにない。
この地上、いつ、何処にいても他人の土地の上、他人の屋根の下。
そんな風にいつも異国の住民であることは不幸だとは思わないが、
不運ではある。

人は独りで生まれ、独りで死ぬ。そのことを単なる知識としてではなくて
当然なのだと悟ってしまっている者は、既に、異国に住む人だ。
その人物は永遠の旅人となる。自閉気味というのではない。
自分は他人様のお陰で生きている、そんなことは充分に知っている。
それでも、野や森や身一つを頼りに生きている獣や鳥と変わるところがない
と 気付いている。知識ではない。全身で納得していることなのだ。
しかし、そんな者は稀である。

体を移動させれば行くことが出来る所。そこが異国なのではない。
自らの好奇心を充たしたり、知識の量を少しばかり増やしたりすることが出来る場所。
そこが異国だというのでもない。異国とは、やや大げさに言えば、自分は生きている、
自分は単なる一匹の生き物だと絶えず再認識を迫られる場所なのだ。
それはある種の恐怖につつまれた場所なのである。

その異国に住む人に出会うと、わたしはある種の共感を覚えてしまう。
それは、その人物に対して羨望の念から出るものではない。
むしろその人物が隠し持っているに違いない心の痛みを感じるからである。
その人物の世界に夢を感じるからというのではない。どうしようもない
諦めの気持を伴った心臓の鼓動が、体の中をかき乱すのが感じられるからなのである。

そのリズムが創造の前触れなのか、または破壊の前触れなのかは分らない。
もしかしたら、それは同じものなのかもしれない。

異国の景色は夜明けと夕暮れの中だけに見えてくる。


オレの存在を頭から輝かさせてくれ
My LIFE brightened with delight


LOVE BATON FIGHTING!!!
cool head and hot mind
COOL DEATH and HOT LIFE



OBJECT SINGING CRYING
LOVING DANSING LIFE
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柄谷行人「闘争のエチカ」はじめーより抜粋

「ベルリン天使の翼」の天使ダミエルは人間になろうとします。
それは、天使たることの放棄であり、有限一回的な世界に生きることです。
他者(女)を愛したとき、天使は人間になる。
つまり、人間になるとは、他者を見い出すことです。
そのとたんに彼は前方が見えない世界のなかで生きはじめる。
それはいわば「暗闇のなかでの跳飛」です。
天使たることとは、何たる隔たりでしょうか。
にもかかわらず、天使たちは、人間になることを欲するのです。
それは、「外部」を欲するということです。
道徳の、つまり善悪の彼岸にいた天使は、ここではじめて、
倫理的であろうとするのです。

---skip---
闘争はいたるところにあらわれてきています。
そして、それは何に根ざし何に向けられてるのかが
ハッキリしないがゆえに闘争なのです。
さしあたって、我々の闘争は、
「天使」になろうとする「人間」たちに対するものです。
つまり、外部を消去しようとする者たちです。
彼らは天使ではけっしてありえないし、天使の無力も知らない、
たんに人間を支配しようとする人間(魔女)でしかありません。
彼らは、私に「動機」がないというでしょう。
たしかに、私は「動機」をもっていない。
だが、その代わり「動機」が充たされることも
失われることもありえないでしょう。
元「天使」は、互いに元「天使」であることを識別できます。
それは、もう人間的連帯とはちがった連帯です。
そういう連帯の挨拶を、ひそかに送りたいと思います。

狂人と芸術家のいずれもが
意識と身体の深層の最下部にまで
降りていって、意味以前の生の欲動と
じかに対峙し、この身のうずきに
酔いしれる

get drunk on emit

o
The limit of HUMAN

 

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